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2019.05.25

まち

この記事の「ええね!」

マイントピア別子

【OB】篠原 淳史

マイントピア別子は、別子銅山 産業遺産のテーマパークで、あかがねミュージアムと共に、新居浜を象徴するランドマーク! 先日、ご紹介した「東洋のマチュピチュ」東平ゾーンと端出場ゾーンがありますが、今回は端出場をご紹介します!(東平はこちら!) https://life.city.niihama.ehime.jp/blog/2561/

端出場は、1930年から閉坑する1973年まで、別子銅山の採鉱本部が置かれた場所で、別子銅山のフィナーレを見届けた地。

元々は、1893年、新居浜市内に向かう別子鉱山下部鉄道の始発駅、別子銅山からの物流の中継基地として開かれた場所でした。

銅の枯渇が進み、深く深く掘り進む中、東平レベルの第三通洞よりも標高の低い場所に運搬道が必要となり、1910年、端出場レベルでの第四通洞開削が始まります(通洞とは、銅鉱石を運び出す運搬道)。

1915年、総延長 4.6kmの第四通洞が開通。以降、採鉱が深く掘り進むにつれ、1916年に頂上に近い東延から中腹の東平、そして1930年に麓の端出場へと採鉱本部が移されたことから、端出場は急速に発展。1968年には、端出場から海面下 1 kmに至る坑道「大斜坑」が完成し、銅山終焉期の採鉱量を支えながら、1973年の閉抗まで別子銅山の中心として栄えたのでした。

第四通洞の通洞口には、住友家 15代当主 友純による題字が掲げられています。出坑された鉱石が、ここから四通橋を渡り、忙しく端出場採鉱所に運び込まれる喧騒が聞えてきそうですね。

 

 

マイントピアでは、別子鉱山下部鉄道を模した410mの遊覧鉄道を、独クラウス社から1892年に購入した蒸気機関車「別子 1号」の83%モデルが走っています。

現在の車両は、別子 1号の老朽化に伴い、新居浜機械産業協同組合 38社が請け負い、二年半の歳月をかけて、本年3月、リニューアルされたばかりのものです。「下町ロケット」ならぬ「新居浜機関車」ですね! 別子 1号が走る中尾トンネル、打除鉄橋は、鉄道開通当時のまま。真っ赤な打除鉄橋はドイツ製で、ピンだけで組み立てられた学術的にも貴重なものだそうです。

 

 

他にも敷地内には、火薬庫を活かした観光坑道、坑内の鉱毒水を浄化処理のため排水したレンガ水路跡、住友接待館だった築 1973年の泉寿亭、旧水力発電所等々、別子銅山産業遺産の数々が、当時を偲ばせてくれます。

 

 

旧水力発電所は、1912年竣工。当時、東洋では最大の落差 596mを誇る発電施設で、別子銅山の機械化、近代化が大きく進むことになります。内部には、独シーメンス製発電機、フォイト製ペント水車等の貴重な機器が当時のままの姿で残されています。勿論、建物も愛媛県を代表する西洋建築、マイントピア本館のモチーフとなっています!

今は緑に復した別子の山々。ここに残る別子銅山の壮大なドラマが朽ち果てぬよう、語り継いでいく。

 

 

マイントピアが、新居浜のランドマークとして果たしていくべき、大きな大きな使命ですね!

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