新居浜暮らしブログ
2019.03.18
まち
この記事の「ええね!」
東平
【OB】篠原 淳史
天空の歴史遺産 東洋のマチュピチュ 東平。
1916年~1930年の間、別子銅山の採鉱本部が置かれた場所であり、標高 700 mの山中に最盛期には 3,700人が暮らした鉱山町です。
その産業遺産は、当時の壮大な営みを想起させ、一度、訪れれば、古代遺跡 マチュピチュに例えるのも、決して大袈裟なことではないと、感じていただけると思います。
新しい坑道の開通に伴い、1930年に採鉱本部は移転されますが、東平への鉱脈が枯渇する 1968年まで主要拠点の一つであり続けた。ということは、自分が 9歳まで、ここが稼働していたと思うと、本当に当時の喧騒が聞えてくるような想いに耽ってしまいます。
いつも東平で想うこと・・・・・。
索道停車場跡。索道とは「空中に渡したロープに吊り下げた輸送用機器 パケットに人や貨物を乗せ、輸送を行う交通機関」のこと。この山中から銅鉱石を運び出し、生活物資を運び入れていた索道が、ここに繋がっていたんですね。
ここに立つと、動くロープや滑車が見えてきたり、届いたパケットの中の日用品を喜ぶ住民の声が聞こえてきたり、その日用品が更にインクラインで運び上げられたり・・・・・。その原始的とも思える方法で、この壮大な物流が動いていたとは、何ともロマンを感じます。
そして、東平に通じる新たな通洞と索道の完成に伴い廃止となったのが 別子鉱山 上部鉄道。新居浜駅よりも、県庁所在地の松山駅よりも早い 1893年(明治 26年)に、東平から見上げる標高 800 mの急峻な断崖の等高線(下記 写真上の白線)に沿って、既に鉄道が走っていたとは・・・・・。そして東平ができるや、わずか 18年で廃線。常に安全と効率を求め、常に別子銅山全体と向き合い、ベストを実践してきた歴史の証ですね。
最後に、東平でもひと際 偉容を誇る選鉱場・貯鉱庫跡。重厚な花崗岩の三段の石積みで築かれた、それはまるで難攻不落の城壁のようでもあり、「千と千尋の神隠し」「天空の城 ラピュタ」の世界のようでもあり・・・・・。
3月、春の訪れと共に、冬季通行止めも解ける季節。
また、天空の東平に立ち、想いも新たに別子の山々と向き合うことができたらなぁと思います。