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2019.10.15

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皇居の楠公さん

【OB】篠原 淳史

大楠公こと 楠木正成公(1294~1336年)

後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献した忠臣。 智・仁・勇 三徳兼備にして、軍神 多聞天王の化生。 日本開闢以来の名将と称される武将です。

没後、長子 正之が転戦の中、伊予を拠点に戦ったことに始まり、七代目の正国が塩崎氏を名乗り、西条市に定住。正国から更に四代、正浪が 1585年 天正の陣にて討死後、その子 正安が帰農し、西条市 神戸に楠神社を建立、楠公を祀られたそうです。

そして、その弟 塩崎利右衛門が新居浜に移り、新田地区を開拓。 楠神社から分祀し、楠公が祀られたのが、ここ若宮神社です(新田自治会館隣)。

 

楠公所縁の新田太鼓台の法被には、楠公の家紋 菊水紋が染め上げられています。

 

更に時代は進み 1889年(明治22年)、時の住友総理事 広瀬宰平翁は、別子銅山開坑 200年 記念行事として、別子産銅による楠木正成像を皇室に献納することを発案。

楠公を敬う宰平翁は、1868年(明治元年) 明治天皇が楠公の忠義を後世に伝えるため、墓所があった兵庫 湊川に湊川神社創建を命じられた際、「神州正気将消処 留在公碑 一片中」(神州の正気、まさに消えんとするところ、留めて、公碑一片中に在り)と喜びの漢詩を詠まれたそうです。

楠公像は、東京藝術大学 高村光雲先生指揮の下、10年の歳月を要して1900年(明治33年)皇居外苑に漸く竣工。 その姿は、1333年に 流刑地 隠岐から還幸途次の後醍醐天皇を、兵庫の道筋でお迎えした折の勇姿と言われています。

 

台座の銘文には、住友家 15代 友純の名で「亡兄友忠、深く国恩を感じ、別子銅を用いて楠木正成像を鋳造し、天皇陛下の御前に献納したい」と記されています。

 

楠公の子孫が新居浜で新田を切り拓き、そして楠公の姿をお借りした別子産銅が 皇居外苑で二重橋を望み 長い年月を重ねてきた。

日本開闢以来の名将 楠木正成公が繋いでくださった新居浜と皇居のご縁。 このご縁を大切に、そしてこのご縁を何より新居浜の誇りに、新居浜が一つになりたい。そんな想いの下、10/7(月)新居浜在 9社による統一ブランド「皇居の楠公さん」を発表させていただきました。

 

 

 

10/20(日)には、新居浜の有志一同「皇居の楠公さんを愛でる会」により、楠公像の御身拭い 及び 周辺清掃を予定しております。

楠公が後醍醐帝をお迎えされたように、22日の天皇陛下ご即位を心よりお祝い奉ると同時に、各国要人も来日され、世界の耳目が注がれる中、日本の、そして新居浜の「おもてなし」の心を 楠公と共にお示しすることが叶えば幸いと思っています。

菊秋の月にして 気淑く 風 ぎ・・・・・ますように!

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