新居浜暮らしブログ
2020.03.09
まち
この記事の「ええね!」
銅山正宗
【OB】篠原 淳史
最盛期には10,000人の交流人口があった別子銅山。
そこで働く剛健な鉱夫達が、毎夜、酔いつぶれた「鬼ごろし」こと「銅山正宗」。
そんな別子銅山所縁の幻の銘酒が、令和の世によみがえった・・・・・。
新居浜の米で、新居浜の水で、新居浜の杜氏が、新居浜の地酒として作り上げた。
しかも、住友金属鉱山との共同企画という別子銅山 お墨付きで!
小足谷の醸造所に岡山から杜氏を招聘、標高1,000mという高地の厳しい環境を克服して、明治6年(1873年)に生まれた「銅山正宗」。以来、40年近く鉱夫達に愛され続けてきましたが、上部鉄道の廃止、採鉱本部の東平移転の流れの中、1911年に醸造中止、1914年には醸造所も廃止されてしまいました。
今、100年の時を越えてよみがえった銅山正宗。
新居浜産の酒造米「松山三井」に、平成の名水百選に選ばれた「つづら淵」水系の水。
明治11年(1878年)創業、華姫桜でお馴染みの新居浜に唯一残る蔵元 近藤酒造が、歴史的文献を紐解き、備中杜氏の酒造りを踏まえつつ、麹由来の香りを残す芳醇で雑味の少ない銘酒に仕上げてくれました。
別子銅山に暮らした鉱夫達と家族
別子銅山を事業として経営した住友と歴代支配人
当時から日本酒を醸し続ける老舗蔵元
歴史と人と想いが一つになり、よみがえった銅山正宗。
歴史のロマンが切り取られ、当時の鉱夫達の荒ぶる宴、勇ましい喧騒がリアルに聞こえてくる気がします・・・・・。
新居浜の誇る財産である別子銅山。
そこで営まれた暮らしから抜け出した今回の「銅山正宗」
銅鉱石の廃石から生まれた「新居浜硝子」
植林により緑に復した別子山系を伝えていく「木育宣言」
楠木正成公が紡いでくれた別子銅山と皇室の深きご縁
そして生まれた地域ブランド「皇居の楠公さん」等々
広がるモノ・コトのポテンシャリティーは果てしないもの。
そんなポテンシャリティーを、生かすも殺すも、ヒト次第。
新型コロナウィルスへの対応を巡って、野党や、メディア、コメンテイターは、後から後手後手と非難するだけ、トイレットペーパーがなくなると拡散しておきながら後からデマを責めるだけ、恐ろしいくらい他人事に終始してる・・・・・。
現場のトップは、どんな非難に晒されようが、真摯な想いで考え、誠心誠意、決断するから、またトップを支える部長職が忖度なしに実務的にも機能しているから、だからリスペクトを以て皆がついて行けるから、ONE TEAMになれる!
サラリーマン川柳に、「「ワンチーム」 にわかに課長が言い始め」という名句がありましたが、俄かでも口に出すだけ遥かにマシ! 青二才っぽくても、口に出さないと、そして背中を見せて行動しないと何も始まらない!
新居浜のポテンシャルを生かして欲しい、担って欲しい。
自ら杜氏となり、蔵を再興され、銅山正宗をもよみがえらせた近藤酒造 五代目当主のように・・・・・。
追伸
一昨年11月の「新居浜 Life」開設以来、「新居浜暮らしブログ」でおつきあいいただき、誠にありがとうございました。
今回の投稿が最終話となりますが、愛する新居浜の色々を、楽しみながら、自分なりに一生懸命 書かせていただきました。
本当に限りなく可能性を秘めた、魅力に溢れる街だと思っています。
移住・定住も視野に、是非、新居浜に足をお運びください!