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2018.11.29

まち

この記事の「ええね!」

金子山と別子太平記

【OB】篠原 淳史

” 日本には、かつて世界屈指の銅山があった ”

暴れん坊将軍、銭形平次などの脚本家としても著名な、新居浜ご出身の井川香四郎先生の著作「別子太平記~愛媛 新居浜 別子銅山物語」は読まれましたか? 別子銅山の ” 歴史を彩った熱い人々を鮮烈に描く、魂が揺さぶられる大河ロマン!” ですので、是非、一度、読んでみていただければと思います。http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784198643942

別子銅山のことは、追々、書かせていただくとして・・・・・、その別子太平記の冒頭に描かれているのが、秀吉による四国平定。当時の伊予国 新居郡を攻める小早川隆景に対峙する金子備後守元宅の勇姿でした。所謂、天正の陣(1585年)ですが、この戦において落城した金子氏の居城が金子山にある金子城です。

金子山と言えば、小学校の時の遠足の場所(高校の時は、時々、デートの場所・・・・・)でしたが、まさかこんな歴史的シーンが繰り広げられた場所とは露知らず・・・・・。でも、大人になって歴史を知り、改めて自分の足で金子山に登り、そして目に飛び込んできた新居浜の何と美しいこと!

 

上陸して攻め寄せて来る小早川軍の鬨の声が聞こえてきたり、別子銅山から掘り出された銅が運ばれる銅(あかがね)の道が見えてきたり、緑の山、青い海と空に、ただただシンプルに魅入ってみたり・・・・・。山と海、歴史、産業、そして人、それぞれが繋がり、積み重なり! 金子山って、そんな新居浜の源の一つなのかもしれませんね。

金子備後守元宅の見事な戦いぶりを称えた小早川隆景による弔いの舞が、麓の金栄校区で「トンカカ踊り」として継承されていたり、金子氏の本拠である埼玉県 入間市の皆さんが太鼓台を担ぎにきてくださったり、金子氏が新居浜に居を移したと言われる1250年頃からおよそ770年経つ今も脈々とご縁は繋がっているんですね! 金子氏の歴史とルーツを学ぶ機会も定期的に設けられているようなので、機会を見つけて深めていけたらなぁって思っています。http://www.city.niihama.lg.jp/uploaded/attachment/34404.pdf

最後に、話しはもう一度「別子太平記」の一説へ。

江戸時代には「新居浜を大阪や長崎に」、明治時代には「新居浜をマルセイユに」!

 

金子氏の歴史のずっと先にある、これからの新居浜のグローバルな未来、見てみたいですね!!

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