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2018.11.29
別子銅山について
【別子銅山について】新居浜クロニクル vol.3
まちは産業ミュージアム
銅山の記憶は暮らしの中に溶け込んで、街角のそこここに残っている。
ふとした瞬間、歴史のひと幕に気づかされ、まちの奥行きを垣間見るようだ。
(写真/木村 孝)
別子鉱山鉄道 下部線(下部鉄道)跡
国領川渓谷沿いには、山裾を縫うように走った下部鉄道軌道跡が残り、往時をしのぶことができる。写真は物言嶽(ものいわだけ)トンネル。廃線跡には現役の坑水路が通る。(※一般立入禁止)
外国人技師社宅
幹部社員住宅だった山田社宅の一角に、外国人技術者のため昭和14年頃に造られた2階建ての洋館が2棟残る。玄関の吹き抜けを巡る階段やバルコニーなどが特徴。(※一般立入禁止)
坑水路跡の橋脚
坑内水を流す水路は明治時代、下部鉄道沿いに作られ、途中で中和処理をして海に流された。今も銅山から水が出るため、坑水路が通っている。コンクリートの溝がそれ。(※一般立入禁止)
旧別子にある接待館跡
旧別子には、料亭や醸造所、劇場、気象観測所もあった。今も山中に多くの石垣やレンガ塀の遺跡が残り、静かに往時の栄華を語っている。
旧別子にある墓所「蘭塔場(らんとうば)」
江戸時代に大火災で亡くなった犠牲者をまつる。今も毎年、住友関係者が登山して、盆供養を行っている。ヤマは厳しい地形と気候、頻発する災害に悩まされた。