市民インタビュー
広島東洋カープで2年目の挑戦
広島東洋カープ 投手 髙 太一 (たか たいち/新居浜市出身)さん
2023年のプロ野球・ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名された髙太一投手。(新居浜市出身)この1年で味わったプロの世界と、野球の原点となった新居浜時代を振り返ってもらった。
小学2年で入団した学童軟式野球『船木パイレーツ』。「野球はもちろんだけど、サッカー、バスケ、ドッジボールと、スポーツばかりで遊んでました」と当時を振り返る。パイレーツ時代には、船木にあった『にこにこ食堂』や『池田自治会館』でのチームの打ち上げも、楽しかった思い出だ。
また父親の影響もあり、子どもの頃は大のカープファン。「ただ、弱かった頃のカープが好きで応援してたんですよ」髙投手が小学生時代のカープは、4位、5位を行き来するBクラスが定位置。それでも父親に連れられ、マツダスタジアムによく応援に行った。
だが、楽しい思い出ばかりではない。小学5年の時の野球大会で10連続四球を与え8失点。髙投手に今でも残る苦い記憶…。
「それまではうまく行くことの方が多かった。野球人生で初めての挫折。うまくいったことよりも悪かった時のこと、これはすごく覚えています」
その後、父親は広島県へ単身赴任。中学進学後の硬式チームへの入団は乗り気ではなかった。「母親と2人だけだし、硬式クラブだと負担も掛けるので、船木中での軟式野球を考えていました」
しかし、両親の後押しもあり県内屈指の名将率いる硬式野球クラブ『今治中央ボーイズ』に入団。練習時の今治までの送迎や夜のお弁当など、お母さんがずっと協力してくれた。「今でも母親には頭が上がりません」と笑う。
高校は広島県の強豪・広陵高校へ進学。3年の春にはセンバツのマウンドにも立った。「高校時代は野球漬け、生活面も厳しかったし、スマホも禁止でプロ野球の情報も入ってこない。カープの応援どころじゃなかったですね」
大阪商業大学に進学後も活躍、2023年のドラフト会議で、奇しくも少年時代に応援していた『広島東洋カープ』に2位指名、入団となった。
2024年はファーム戦で2勝5敗。「全然だめでしたね。でも課題はたくさん見つかった」と自己分析。それでも2024年10月5日には1軍戦で初登板。その日は広島東洋カープで通算80勝を上げた野村祐輔投手の引退試合ということもあり、マツダスタジアムに集まった約32,000人の観客に見守られ2回を投げ、打者8人に対し被安打1、奪三振2と好投。「たくさんのファンの前で投げられて自信になった。今シーズンに繋げたい」
憧れの投手は、広島東洋カープで80年代に活躍し「炎のストッパー」と呼ばれた津田恒実投手だ。ただ、髙投手が生まれる前に津田投手は引退、そして若くして鬼籍に入っている。「津田投手の本をよく読みました。どんな時も直球1本でかっこいい。僕のスタイルとは真逆(笑)真っ向勝負の姿勢は憧れです」
今はご両親も広島に移り住み、新居浜に縁者はいないが「温かい人が多い新居浜、そして船木で育てていただいた。都会では野球禁止の公園も多いけど、新居浜は思う存分野球ができる環境がある。必死に練習するのもいいけど、友達と楽しんで野球やスポーツを楽しんでほしいし、それができるのが新居浜だと思う。僕もそうやって育ってきたんで」
2年目の抱負を聞くと「今シーズンに繋げられるよう、オフシーズンは練習を積んできた。2月からのキャンプでもしっかり練習したい。そして変化球、直球も高いレベルで操れるようになりたい」
『弱かったカープ』は今や昔。新居浜での思い出を原点に『強いカープ』の一員として、2シーズン目が始動する。
フリーペーパーH00-JA! 2025年1月25日号(Vol.490)掲載