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2020.01.04

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広瀬家ゆかりの場所、京都の『廣誠院』をご存じですか?

広瀬 香織

「広瀬家ゆかりの場所、京都の『廣誠院』をご存じですか?」

広瀬家ゆかりの場所、京都の『廣誠院』をご存じですか?新居浜市民の方は『旧広瀬邸』や『広瀬歴史記念館』などを訪れた方も多いと思います。しかし、広瀬家とゆかりの深い、京都の『廣誠院』の事をご存じの方は少ないのではないかと思います。そこで今日は、廣瀬家とゆかりの深い『廣誠院』についてご紹介したいと思います。

廣誠院は明治の建設業の発展を担った旧薩摩藩士 伊集院兼常(1836~1909年)により建てられ、彼の屋敷(明治20年頃)でした。伊集院兼常は維新以後、実業家として会社社長を歴任し、鹿鳴館や宮家の御殿の建築にも携わった人物です。伊集院が建てた廣誠院は、書院、茶室、広間などからなり、庭園に面して配置されています。柱に面皮柱を用いるなど、全体に数寄屋風の意匠でまとめられています。明治期の優れた数寄屋邸宅として貴重です。十三畳半の書院は庫裏の東に接し、室の西側には普通の畳より狭い台目畳三畳敷の床と床脇を設けています。書院から南から東にかけては軒の出が三メートル以上の庇になっており、特長的です。その軒裏には北山杉の垂木が並び、深い軒を一本の丸太の桁が支える軽快な空間構成になっています。茶室は三畳中板入りで、庭園の流れの上に建っています。下座に床を配し、躙口や円窓を開いています。また建物の北東にある八畳敷の広間も茶室としても用いられる部屋があります。また庭園は伊集院の強い指示のもと築造され、彼の庭園に対する造詣は深く、七代目小川治兵衛は庭造りの技術を身に付ける上で、兼常から多くのことを学んだと述懐しています。また庭園に流れる水は高瀬川より引いており、高瀬川へ戻ります。自然の川の水を取り入れた池や水の流れは、心を穏やかにしてくれます。庭園の水は茶室の真下をくぐって流れとなり、その流れは南北に細長い園池に注ぎ、園池中央に架かる橋を経て、大振りな石組が配された池尻からまた川へと戻るのです。建物と庭園は大変融和しており、かつ互いを引き立てています。後に廣瀬家(広瀬満正(広瀬宰平の長男)が明治35年4月)が所有し、臨済宗の寺院として守り受け継がれてきました。建物は京都市指定文化財、庭園は京都市指定名勝です。(因みに伊集院兼常は土佐日記で有名な紀貫之の子孫です。)

この廣誠院には、広瀬家のコレクションが多数、収蔵されており、そのコレクションの一部が広瀬歴史記念館で2012年10月28日~12月2日までの間『広瀬家ゆかりの名品』(特別企画展)と題して公開され、好評でした。

コレクションの中には、なんと織田信長が関係した絵(達磨像 顔輝)もあります。また広瀬家ゆかりの画家である北脇昇の絵画や屏風なども展示されました。また、いつかもう一度、廣誠院コレクションを広瀬歴史記念館で公開して頂きたいと思います。私も実際に廣誠院に行き、様々なコレクションを見せて頂きましたが、一日中見ていても飽きないほど、様々な美術品が収蔵されており、建物、庭園などの素晴らしさに息を飲みました。

また私が広瀬家に嫁いだ時、京都の日野西家(廣瀬家に十二単でお嫁入した公家の女性)の名品(檜扇と十二単の懐を飾るアイテムの嫁入り道具2点)を譲り受けました。その時は、大変、恐縮でした。まさに猫に小判!もし、京都に行く機会がありましたら、ぜひ『廣誠院』へもお立ち寄り頂けましたら幸いです!(普段は非公開のため、事前のご予約が必要です。11月の紅葉の時期には一般公開されています。)

〒604-0924 京都市中京区河原町通り二条下ル東入ル一之船入町

地下鉄の「京都市市役所駅」下車徒歩1分

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